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Halloween

すっかり日本でも浸透してきましたね。
まるでバレンタインのよう。
お菓子会社がすごい、という意味で)

Halloweenと聞くと。
どうしても、日本の秋祭り&お盆(地獄の釜が開く)の想像をしてしまいます。

しかし東洋と西洋。似たような習慣でも、お祭り騒ぎの中身は微妙に違うものなのですね。

日本の盆は死者を弔い、戻ってくる死者とともに。
生者死者とも分け隔てなく、その日を楽しむ。


ハロウィーンでは、生者が死者(というよりお化け?)の恰好をし。
あなたの仲間ですよ、悪さはしないでください、連れてかないでください。
的なアピールをするとか(諸説色々あるみたいですが)

御伽話しもそうですが、世界各国似たような習慣や話しはあるけれど。
その国の環境によって、微妙に変化するものなんでしょうね。

似たような習慣がある(思考する)というのは、世界はバラバラなものではなく。
同じ個体なんだなぁ。と思えてしまいます。

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こだわる思考


物が捨てられないのは、情に厚い、とか聞いたこともありますが。



捨てられない、というよりは。
捨てることへの恐れ、というのもあるのでしょうね。

自分の周りにはたくさんのものに囲まれている。
しかし、それを信じられない心が存在しているということ。

沢山のものに囲まれていても、心が無い!と認めてしまえば。
何も存在しないのです。

本当に、人は心に支配されている生き物なのですね。






寒くなってきたので、衣替えとか思っていましたが。
中々どうして。
洋服とかって、着倒して、どんんなにボロボロになっても捨てられないんでしょうかね?
答えは簡単。着慣れてしまって、肌になじんでいるから。

判断は誰が作る?

この世界をジャッジしているのは自分でしかない。
でも、ジャッジしている自分すら、存在していない。

だったら誰がジャッジしているの?

誰もジャッジなどしていない。
だから安心して、この世界に身を委ねる。

ただ、それだけ。

個人とは?

この世界には自分しか存在していないという。
いや、自分すら存在していないという。

何もかも、全てが一つであるとはいうけれど。
怒りも悲しみも、赦しも何も、そこには存在しないというけれど。

何かを感じている個人は確かに「居る」のです。

ぼんやりと、していました。

いきなり寒くなってしまって、思考停止。
というよりも。
動物同様、体(より頭)の停止が…。

冬に向けて、ぼーっとしそうです。


一気に秋へと移行して、何だか四季の移ろいという情緒も無くなりつつありますね。
それは自然のみならず、対人関係においても、似ているように思えます。


ハイテクとかいって、時間の進みも早くなり。
人の活動も昔以上にスピードを求められます。
寿命も延びたとはいえ、時間が早く感じられるのは。
何も年を重ねたせいだけでもないのでしょう。


人は最終的に、どこに辿り着きたいのでしょうね?

倍返し

かつて、こう云われたのを思い出しました。

「よいことをしてもらったら。
していただいた相手ではなく、別の他人へ倍に返しなさい」



悪いことをされたら?
その疑問には。

「あなたがその連鎖を止めてあげなさい」とも。


色々な法則でも云われていますが。

嫌なことを倍返ししていったら……。
末恐ろしいですね。



他人の云うことは全て正しい?

他人がそう云った。
だから行動する。

それはそれで正当性を持つ、のでしょうが(?)

それはあなたが本当にやりたいことですか?
と問われた時。

何と答えられますか?




自分の意思が介在していない。

そこでようやく自分という存在の危うさがわかるのかもしれません。

自分という肉体が存在しても。
自分という精神的存在はいない。

怖い!

― -

機械とおんなじようになってしまったら?
生きている意味がわからないですよね。

そこまでしないとわからない人も、結構いそうですよね。

それが悪いのではなくて、そういう風に育っちゃったから。
そういう風にすることで、我が身を守っていたから。

自分を責めない・攻めない!

やりたいことから考えてみましょう♪

当てはまる。

他人の言葉に従う。

それは、そこには自分の意思は無いということ。
=他人のせいに出来る。自分は悪くない。
それは、これまた別の連鎖が始まってしまうこと。

そして、それが習慣化してしまうと?



最悪、全てにおいて、自分の意思で動けなくなってしまいます。



自分で考えて・動いて。そして怒鳴られる。
というのであれば。
機械とおんなじで、自分の感情をシャットアウトして。
機械とおんなじように、云われるまま、やっている方が楽ともいえますよね。

これも一種の処世術?


― -

自分で考えて、動いて、そして怒鳴られる。と書いたら。
ふとあるメロディー&歌詞が!?
引っこ抜かれて、戦って、食べられて・・♪

そこまで自分を傷付けても、好きだからついていく。
何だかしんみりしてしまいました。
でも、このメロディー&歌詞、何でか凄い惹かれるのですよね。

気持ちがわかる、のかしら?
自己犠牲?自己欺瞞?自己満足?
ううーん。

止まって、みる

人は理性がある生き物であると云われています。
なので、物事が起きた時には。
一旦立ち止まれる心(精神)を持っているはず。
なのですが。
(最近は……。そういう見識が揺らぎます)

子供も大人も。
出来事が起きた時における、次のステップであるワンクッション。
それを考えるのは難しいかもしれません。

けれども、思考を一旦ストップさせ、自分を振り返ることを可能にします。
(客観的にその出来事を見られれば、ですが)


止まって・止まって。振り返る。
現代社会では、かなり難しいかもしれない。
今時は。前だけを見て進め!という感じがひしひしとしています。


― -

最近の私の流行り
親カモ・子カモのムービー。

鴨にも個性があるのがわかり面白いです。

親カモの性格なのか、子カモを心配して振り返る親カモがいれば。
真っ直ぐ目的地まで一直線!な親カモに、必死で付いていく子カモ。
(スパルタですね)

そうかと思えば。
犬の背中に子カモを乗せて、川を渡らせるちゃっかり親カモがいたりと。
(ある意味セレブ?)

前を見るとしても、こんな風に色々な向き方があるもんですね。

立ち止まる。

云われたことをそのままやるのは。
組織においても必要、かもしれませんが。
全部が全部、そうと云えるのでしょうか?

一旦立ち止まって、振り返って。
どうしてこうなった?
そのように考えるという行為。

考えなくてもいいよ、となると。
「どうしてこうなった?」
そのワンクッションが無くなります。

上の立場からすれば、使い勝手のいい道具扱いされることでしょう。
使われる立場の人からすれば、自分で考えなくていい、責任を取らなくていい。
だから楽。
となるでしょう(か?)
そうなった時は、相思相愛でお互いに円満なのでしょうね。

親(神)の言葉

やり返すのは正しい。


その言葉は、行為に対する正当性を持ってしまい。
その言葉を貰った子は。
やり返していいと云う手形を貰ったようなものです。
そこに自分が悪いんだ、などの思考は存在出来ません。


そこに子供の考え方・意識は存在しません。
その問題について考えさせない、強い力が働いてしまうから。
それは条件反射のように、自動的に働いてしまいます。

― -

そこまでいってしまったら。
パブロフの犬ですね…。
わかっていてやったら?
それは知能犯!?
大人になった時。
要領のよい大人に育つでしょう。

ま、そういうずる賢さを学ぶのも、必要なのでしょうね。
真正面から突破、なんて、馬鹿な事をして物事解決出来るのは。
剛腕な人くらいでしょうから。
人間社会でも動物社会でも、よほど強いモノでないと、無理ですから!

だから、ずる賢さを学ぶのも、いけないのではないのですよね。

それをどう認識するか、出来るか、それが一番大切なのでしょうね。

よい方向に使ってくださいね!

返し技

そうやって学んだ子供は。

嫌な事をされたら仕返しをしていい。
という言葉に対し、疑問を持たないです。
そのまま実行してしまいます。
素直なのです

そもそも疑問を持たない。というよりも。
疑問すら思わない。
素直に「そうなんだ」という事だけを学んでしまうだけなのです。
子供はスポンジですから。
よいも悪いも無く吸収するのが早いですよ。
で、一旦吸収したら、元には戻すのが大変?!という。



だって、親(神)がやっていいと云ったのだもの。
許可したのだもの。
素直に吸収してしまいますよね。

雨が降ってきた。植物は根から水を吸収。
そんなもんです。
何も考えずに吸収。


でもね?




ちょっとずる賢いと。
いけないかな?とわかっていても。

親(神)の許可の元、やっていいんだ!やってしまえ!になりませんか?
どうでしょう?




たとえば大晦日


いつもは。
「夜遅くまで起きていてはいけません!」
と親が云うのに。
大みそかはなぜか特別で。
起きていてもいい、と大人は子供に許可するのでしょうかね?
(寝落ちしてしまう子供が多いから、タカをくくっているところもあるでしょうか?)

そういう経験のある人。
疑問に思わなかったですか?

疑問に思っても。
でも、あえて云わなかったと思いませんか?


なぜか?

だって、いつも許可されていないことが、許可されるのですから。
云ったがために、許可取り消し!になったら困りますものね。

なんだかそれに似てません?

やり返す

まぁ、テレビドラマをほじくっても詮無いことですが

実際に流行ると、怖そうです。





男性は小さい頃、親によく云われていたであろう単語…。
今の親もその延長で小さい子供に云っていそうな単語…。

「いじめられたら、やり返せ!それが出来ないのは弱虫だ!」


いじめられる人間がいけないような云い方を、親にされた人も多いのでは?
だから、倍返し、という言葉も違和感ないのかな?


 これってどうなんでしょうかね?

その子が本当に優しい子であったとしたら?
親は子の人格を否定していることになりかねない…。


そもそもそんな子は、やり返すなど出来ませんよね。
自分がされて嫌なことをするなんて、出来ますか?
普通は出来ないですよね。

しかし、負の倍返しの正当性を親(子供にとっての神)が子に云ってしまったら?
または、自分では物事をあまり考えない子に、親がその言葉を云ってしまったら?

親(神)の言葉が正しい
嫌な事をされたら、堂々と仕返ししていいんだ。と学んでしまったら?


怖くないですか?



どうせなら、笑える怖さのほうがマシですよね。
恐怖体験だって、疑似体験のお化け屋敷のほうが、いいですよね。
安心して怖がれますから。
えぇ実際体験するよりも


だからテレビドラマは安心して観れるのでしょうね。

でも、この世も自分が作ったドラマとは云いますが

倍返し

最近は、日が進むのが早いような、遅いような…?

そして流行にはついて行ってません

最近知りました。
「倍返し」
(言葉自体は知っていましたよ。
W.D.でよく「○倍返し」と云っていたので)

ドラマで流行ったみたいですね、この言葉(?)
雑誌に特集が組んであるのですから、かなり流行ったのでしょうね。
いったいどんな番組だったのでしょう?

流行るくらいだから、面白かったのでしょうね。



「倍返し」
しかも。よい意味では無いほうの。
やったらやり返せ!
らしいですね。
今時の日本人。強くなりましたね。

しかしこういうのが流行るとは。
末恐ろしい……。

気持ち的に、やったらやり返せ!は。
わからんでもないですが。
というか、よくわかるからこそ、か?


どうせなら、W.D.のような、よい倍返しが流行るほうがいいなぁ。

でも。男性にしたら。
こっちの方が、トンデモナイ!?かしら?

うろこ雲

うろこ雲

秋ですね。

怒鳴ると叱る

怒鳴られると委縮してしまい。
ついつい、自分が悪いんだ、そう否定してしまいそうですが。
それは間違いの元。

怒鳴るという行為は、怒鳴った当人の感情でしかないのですから。
あなたは関係ありません。

怒鳴りたい人にとっては、怒鳴る対象は誰でもよいのですから。
あなたでなくてもいいのです。

怒鳴る相手はあなたでなくても構わないのです。
たまたまそこに居併せてしまったあなたの運の悪さというか…。


いや、あなたが物凄い優しい・反論しない・相手が自分よりも見下していた、弱い人間であると認識さている、とかであれば。
怒鳴りたい人は自分の意思で、自分がスッキリしたいがために、意図してあなたを選んでいるかもしれませんが。



そういう兆候があなたにあるのであれば。
極力その相手に関わらないようにしましょう。
無視したって構いませんよ!
わざわざ、そんな人のためにあなたがストレス発散の相手をしてあげる必要はありませんからね!


怒鳴られたことに関しては、その人のストレス発散と思いましょう。
あなたは関係ありません。
そのことで落ち込む必要は全くないのですから。
それは単に八つ当たりです。
相手がイライラしている感情を吐き出したいだけです。
あなたは悪くありません。
怒鳴られることに対して、自分を何ら卑下する事はありません。

悪いとしたら、その場にあなたが居合わせた事だけです。
それ以外は、あなたが悪いのではありません。
相手の感情に振り回されるのは得策ではありません。
気にしないことが大切です。


怒鳴る相手というのは、ビビりな人も多いものです。
いつも怒鳴って威嚇するというのは、何かに似ていませんか?

小さい子犬がよくやりますよね。
周りと調和出来ていない、知らない場所に居て、知っているものが無くて。
だから周りを全部敵と思わないと、子犬自身の存在が無くなってしまう。
そんな不安定な場所にいて、怖くて吠えているだけなのですから。

大きな犬というのは、よほどでないと吠えませんよね?
そういうものです。


怒鳴る人は。
いかに自分よりも大きかろうが、内面はビビりの小心者なのです。
そんな相手を気にしてはいけませんよ!
外見だけでびびってはいけません。

観察してみてください。
そういう人間は、弱い人にしか云えないのですから。
自分よりも強そうな人には何も云えないのですから。

そんな、えり好みをする弱い人間を怖がらないでくださいね。



叱るというのは、相手を慮ってのこと。
だから反省するのは有りでしょう。

でもそういう人は、穏やかでズバリ確信を突いてくるのですよね。
こちらは逃げないようにしてくださいね(^^)

ではでは、がんばってください。

何が一番大切なのか

一番必要なのは「形のある物」でしょうか?



いえいえ、違いますよね。


心が満たされれば、代用品も何も必要としなくなるのですから。

結局は「存在する物質」がほしいのではなく。
心が豊かになる「何か」が欲しいのでしょうね。


探し物はなんでしょう?

心が必要としているもの。

でも心は見えない。


だから、目に見えるもの、手に出来るもの。
そういうものを、
心が必要としているものを現物として見ることで。


心を安心させたがる。

だから。
代替の「形のあるモノ」を必要としてしまう。

執着を捨ててみる

結局は、心・感情が必要としているから、捨てられないのですよね。


何を必要としているか、といえば?


心や感情が安心するものです。

安心したくて執着してしまう。

何だか本末転倒ですね

捨てるとは?

物が捨てられないのは、執着しているから。

では。
その執着はどこからきているのでしょう





感情をどうやって手放そう?

さて問題です。


もーーのすごく執着している物。



それを捨てることが出来るとしたら。
どういう状態の時でしょうか?




ボロボロになってしまった。
汚くなった。

いえいえ、それでも捨てられないことってありますよね。
大切なものであれば。




思い切って捨てる。
というよりも。
何かのきっかけで捨てられることってありますよね。


第一段階はそれを参考にしてみましょう♪
あんだけ執着していた物を、あの時はこうやって捨てた。
ということを。

性格もみな違うのですから。

捨てようと思えるようになった気持ちだって、みんな違うはずですから。

手放すのって、難しい。

断捨離が簡単に出来る人ならともかく。

結構出来ない人って多いですよね?

いつか使うのではなかろうか?
いつか役に立つのではなかろうか?
いつか……。

そんなものが沢山沢山たまっていく。

感情も同じ。

捨てたい!
そう思っているのに。
中々捨てられなかったりもする。


ではどうやったら手放せるのか?

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