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見せられたのはそういうもの。

どういうもの?

単に、自分が持つ感情。
それだけ。

では、その感情をどうすればいいのか?


その嫌な感情を持っていたくなければ。
手放すのを決める。
それだけ。

ではどうやったら手放せるのか?
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というわけで?

その感情を作ったのは、何を隠そう(隠さずとも)自分自身。
相手のイヤ~な行為を、あなたが作ったのではないのです。
相手が見せてくれた行為に対する自分の感情。
自分が創ったのは、その感情だけ。
その感情に沿ったもの。
それを相手は単に見せてくれる。
見せてくれるものが、色々な行為。
それだけです。

嬉しいも、楽しいも。
怒りや悲しき、恐れや不安も。

相手が表現して見せてくれるのは。
そういったもの。

それを見ながら、その喜怒哀楽を感じているのが、本当の自分。

相手が見せるもの

相手が自分に見せてくれるものというのは。

相手の行為・行動ではなくて。
自分の内面が持つ感情ではないでしょうか?

自分の持つ感情を教えてくれるための行為・行動を相手がしてくれる。
そんな風に取れば。

少しは苦しみが減ると思うのです。


相手がこうするから、腹立つ(とか、悲しい、とか)…。
ではなく。
私は…だから、~する相手の行為が腹立つ(とか、悲しい、とか)

そう云い変える方が、多分楽になれます。

さてはて

相手の○○する行為に腹が立つ!
というのであれば。

相手の腹が立つ「行為」=それが自分。
ではなくて。

腹の立つ行為=>ムカムカする!(←この感情を自分は持っている)
腹の立つ行為=>わかってくれなくて悲しい…(←この感情を自分は持っている)
(=>の感情って、簡単に書いただけで、真逆になってますよね。
だから、怒る人、悲しむ人、嘆く人、・・・。
色々な感情を持つ、持てる、のですよね)

この自分が自由に持っている「感情」を。
ただ単に、見ていけばいいだけではないでしょうか?

だって、相手の行為・行動に反応しているのは。
突き詰めていけば「感情だけ」なのですから。

相手の行為そのままを、自分に反映させる。

という風に見るのではなく。

相手が見せてきたものに対する、自分の感情を見る。

という風に変えてみたら、反発は減るのではないでしょうか?

そう思うのですが、いかがでしょうか?



相手の行為・行動に対する、あなたの感情。
それこそが、他人が見せてくれるものではないでしょうか?

気持ちの投影

自分の周りにいる人達。
心地よい人は、そのままで。

そうでない人がいた場合。



自分の嫌な部分を見せてくれている。
と、よく云われるけれど。


そう云われて、反発する人って結構居ると思うんですよね。

いや、自分はこんなひどい人間ではない!とか。
わかります、それ。

勿論、シーソー同様に。
自分が持ち続けている頑固さを、他人が正反対に見せてくれている場合もあります。
(キチンとした性格の人に対して、真逆のゆるーい感じの人が現れるとか。
それはここでは置いておいて)


相手が自分の嫌な部分(行為・行動)を見せてくれている。
そう他人に云われる。
だからこそ、反発が半端ないのではなかろうか?
と思うのですよね。


自分はこんな事をしない!

確かにそうです。
他人と同じ行為・行動は下手すれば、あなたはしないし出来ません。
なぜか?
だって反発しているのですから。

では、相手の何が、自分に反映されているのでしょう?

自分は自分

最初から自分はこういうキャラなのだ。
と自分で思うほうが。
楽なのかもしれませんよね。

他人も自分も気にしなくて済むから。

最近テレビで見たのですが。
ネガティブモデルとか云われているのでしょうか?


この人は自分をそういうものだとして、凛と存在している。
他人に媚びるでもなし、自分を卑下するでもなし。
自分という存在全てを、自分で自然に受け入れている。

だからこそ、他人もきちんと認めてくれるのでしょうね。

まずは自分で自分を認めないと。

期待しなければ。

最初から、他人に怒りや不満を持たなければ。
期待などしないということ。

心は平穏でいられます。

でも?
相手の中に自分を観ちゃうから、無意識に期待しちゃうんですよね。

別の見方で

嫁姑の争い。

あれって、どこかに「期待」が入っていると思いませんか?

嫁がこうしてくれればいいのに!!
姑がこうなればいいのに!!!

相手に期待してなきゃ。
こんなセリフなんて出ないでしょ。
多分。


これより、会社の例の方がわかりやすい?

部下に期待しているから怒鳴る上司。
とか。

ま、それは今。
流行らないといったらそれまでですが。

何が出てくるのかな?

出てくるのは、結局「他人への期待」なんですよね。

他人に対して愚痴やら怒り何やら出てきたとしても。


自分は他人に対して「期待」しているんですよね。


でなゃ、他人を相手になどしません。


そして、そこにあるのは、自分への「期待」でもある。
ということです。

不満って?

他人に対する自分が持つ不満というのは。

他人に対しての不満に不満ではなくて(面倒な云い回しだな)

自分の思考に理解してくれない他人に対して起きる不満。


そこに出てくるのは?

何だと思います?

一体誰に、不満をぶつけたいんでしょう?

結局は。



自分でしかないのですよね。

Q.誰にわかってほしいの?!

A.=>自分です。他人ではありません。

だから、他人に自分の不満やら何かをぶつけたとしても。

スルーされちゃうんですよね。
で、結局のところ。
自分は自分の内面に、自分の気持ちをわかってほしいだけ(面倒な云い回しだな)

そういう時ほど、他人は相手にしてくれない。


だって、本当に云うべき相手が間違っているのですから。


不満を云う相手というのは、誰か。
よーくわかりました(色々と降ってきましたので)

その感情を、誰にわかってほしい?

自分が他人に相手にされない(妙な云い回し)
という現状に。
自分は反応する必要はない。


色々な法則で。
自分も他人も一緒である。
というのであるならば。

他人=自分。


相手の中に自分を見ているのならば?
相手の中に自分がいるということ。


でも、この世界では、自分と他人は分離して見える。



さて問題です。
自分が一番、不満や愚痴をぶつけたいのは、話しを聞いてほしいのは。
結局一体誰なんでしょう?

人生を楽しんでいる・・・?

人生を楽しんでいる人というのは。

本当に「今」を楽しんでいる気がします。

「今」を楽しめるか楽しめないか。
「今」を意識出来るか出来ないか。

たったそれだけの差で、人生が変わってしまうのかもしれないですね。

モヤモヤ

自分の中の、もやもやしたものって。

「誰かにわかってほしいのよ!!!」

というのもありますが。


そういう時は、誰も相手にしてくれませんよね。

あなたがそういう相手を引き寄せている!
ではなくて。

本当に相手にしてほしいのは、自分だからかもしれませんよ。

だから他人は相手にしてくれなくて。
本当に相手にするべき相手を。
他人はあなたにそっけないフリすることで、教えてくれているのかもしれません。

引き寄せた?

誰しも。
自分自身を守りたくない。
なんてことを、思ってはいないんですよね。
(自分の思考が自分を傷つけたいと思っていても。
引き寄せられるものって。
それが自分を傷つける事象だなんて、思っていないのですよね。
だから、自分は絶対に、自分によって傷つけられないんですよ)

今の自分が過去の自分を眺めた時。

防御のやり方が間違っている。

とか思いますけれども。

でも、その時はそれが精いっぱい。

どんなに恥ずかしいことでも、一生懸命やったんだよね。
と褒めてあげるのが、自分を認めてあげるということ。

そして、その時。
そこにある思考を見つめることで、自分が何を欲しているのか。
本当はそれを見るのが一番大切なのですよね。

誰が嫌いだの、誰かのせいだの。
本当はそんなことはどうでもいい話しなんですよね。

今ならわかるようになってはいるんですがね。


引き寄せている?

よく。
よいも悪いも、自分が引き寄せていると云いますが。

まぁ、確かにそうなんでしょうけれども。

よく考えると、よいも悪いも、無いんですよね。

単に自分が望んだ事象を引き寄せている…。orz・・。

嫌なことと思えるのを引き寄せている理由。
その理由も、人の数だけあるとは思うけれども。
最終的に云えるのは。

自分の防御のために、その事象を引き寄せている。
ということ。

結局は、どんな出来事であっても。
最終的に自分を守っているんですよね。

それがどんなにアリエナイことであっても…。

肉体という幻想

「私」という「個」が存在しないというのであれば。
「私」という「肉体」も存在しないということ。

「私」を「私」足らしめているものは?

何を隠そう「私」でしかない。
その「私」が「私」を存在しないというのであれば?

「私」は「私」では無い=存在しない「存在」

どうやって出すのか?

自分の気分がよくないな。
と思っている、そのものを、そのまま出してしまうだけ。

言葉にしなくても大丈夫!



体内に入れてしまったものを出す時。

自分が怒っているから悪い人間だ、とか。
悲しんでいるから駄目な人間だ、とか。
思わないのがポイント。

入ったものを出すだけだから。

出すもの出したらきっとスッキリしますって。

出せばいいだけ。

毒出し方法は、人それぞれだと思うのですが。
これは一例ですが。

怒りが体内に入っていたら、怒りとして取り出し。
悲しみが体内に入っていたら、悲しみとして取り出す。

これだけ。



体内に入っている物質を出すのであるから。
体内に入っている物をそのまま出す。
結果。
体内に入っている物がそのまま出てくる。

噛み砕いて変換するのも有りですが。めんどいです。
嘔吐と同じで、そっくりそのまま出してしまえばいいんです。

怒りを怒りのまま。
悲しみは悲しみのまま。

単純な方法です。

よく云いますよね。
思いっきり怒鳴ったらスッキリした。

体内にあった毒をそっくりそのまま出しちゃったからでしょう。

そのまま体に入ったものを出してしまえばいいんです。


これやる時の注意点は。
人の居ないところでやるというのです。
でないと、単なる怒りんぼがいる!と云われてしまいますから。


「嫌なものは吐き出そう!」

毒のある食べ物とかだと、体が敏感に反応して出そうとするのに。
言葉とか、精神的なものだと、何で出ないのでしょうかね?

そこには、他人が介在するからだろうと思いますが。



では、どうやって出すのか。

簡単なのは、嫌なものを栄養に変換してしまえばいいんですよね。

食べ物と違って、思考というのは。
考え方一つで見方を変える事が出来るのですから。
ある意味、変換しやすいとは思うのですが。

でも、栄養として(負の思考を)認めるのって難しいですよね。

でも、そんな面倒な事、しなくてもいいんじゃないの?とか思った次第。
(というか、そういうメッセージが降ってきた)


ふいに降ってきた

「嫌なものは吐き出そう!」と唐突に…。




食べ物でも、ウイルスでも、何でも。
身体に入ろうとする毒に対して、吐き出そうとする機能が体にはありますよね。

それと同じで。
言葉の毒も、体内に入ろうとすると。

本来ならば、吐き出す作用があるはずなのに。
なぜか、人によっては好んで受け入れてしまっていたりするのですよね。

食べ物でも苦味(本来毒として認識されるもの)が好きな人いますから。
言葉の苦みも、受け入れる人がいても普通なのかもしれませんが。

苦いものを受け入れる。
それが大人とか云われますけれども。
でも。大人と云われる人を見たって、楽しそうには見えないですよね(偏見?)



栄養になるものであれば、体に吸収されて排泄されますが。
栄養にならないものって、体に蓄積されて、なぜか出ていかないんですよね。

無理に栄養として変換する必要は無いのでしょうが。
とりあえず、いらないものはどうにかして外に出したいものですよね。

生きるのが下手な・・・

「今でしょ、今」

というのが流行りましたけれども(詳しく知らないので何ですが)

実際、未来を心配しても、過去を悔やんでも。
今では無いのだから、どうしょうもないんですよね。
どうあがいても、ソレは動かせないのですから。

どうにかしようとしてする行為。
未来に対しては次善策を取れるかもしれないけれど。
予想した方向へと行けるのは稀だろうし。
もし行けたとしても、その先、その先、その先・・・。て考えるとキリがない。

過去を悔やんだとしても、その時間に戻れるわけでもないし。
悔やむ行為をする今を消費してしまっているだけになってしまう。

生きられる時間は「今」しかないのにね。

技術の進化!

久々に楽しいニュースを見て、わくわくしております
光る花だの、腕時計(腕輪)式の携帯電話だの、メガネだの。
昔のSFに出てきたようなものが実用化!?
リニアモーターカーも試作(実用化段階?)しているとかで、ニュースになっていましたよね。

昔のSF作家は、未来人だったとか。未来を読める・未来に飛べる人だったとか。
そんな夢物語もありますが。
小説内で、何年にこういうものが…。と書かれているものを見ると。
本当に未来人だとか、未来を読める人だったのではなかろうか?
と思ってしまいます。

もったいない

自分のしたいことをするために、と。
退職する人がいました。
(別会社の人ですが)

その人は。
この場所で働いている時間がもったいない。
ということでした。

今しかできない事。
それをする。
それが出来る年齢が今しかない。


そうすると面白いもので。
ラジオやテレビ。はては、ブログでも似たような人が目につきます。


毎日同じことの繰り返し。
それに生きがいを感じているのであれば十分です。

でも、そうでなければ?
自分の心が何か別の所へと動くのを感じるのならば?

***

出来ない云い訳ならいくらでも。
だから。
出来る、云い分にひっくり返してみましょうか。


本気でしようとするのでれば、それ一本で!と覚悟を決めるのが一番なのでしょうが。
中々度胸が…。

それが出来ないのであれば、時間はかかるおそれはありますが。
動かないよりまマシです。
動いてみましょう。

動くことで、その内。

何もしないよりも道は広がります。
自分の心に何か動くことを感じたら。
何か少しでも動いてみるのをお勧めします

メッセージ

でも何でしょうかね?

気づいたのなら大丈夫よ♪
と今日はそんなメッセージをいただきました。
(かなり個人的な事なので詳しく書けませんが…)

まったくおもしろいものです。

メッセージ

昨日に引き続き。

『困難には。自分の夢や希望に沿った道に行くために必要な困難もあります。
それを見誤らないように』


必要な困難と、不必要な困難。

選ぶのであれば、必要な困難の方が自分のためですよね。
そこ、間違えてはならないですわ。

いくら他人が自分を映す鏡だよ!とか巷で云ってても。
他人を見て、自分に反映させるのではなく。
自分を見て、自分に反映させないと。

他人に自分を見ているようでは、まだまだですよね。

困難が好きな自分

似たような人は多いのではなかろうか?と思うのは間違いでしょうか?


 天使のメッセージ。
『困難な場所にいる自分が本当の自分と思い込んでいる』
というのをいただきましたorz……
まだあるのか……。

もう、癖なんだろうね、きっと。


改善・修復は出来るので、従うのだけをすればいいだけ。
って、わかっている(やっているつもりな)んですがねぇ。



 アンタ絶対に火中の栗を拾うの、凄い好きじゃない!!!!
あれは才能だよ!普通の人間なら絶対やらない事に足突っ込むし!

 orz……

4か月!

早いもので、もう9月…。
今年の残りが、後4か月なのですね~。
やることだけが増えていく。しかし、時間だけが過ぎていく。
あぁ、無常…。
自由に使える時間、プリーズ!(切実)

来月からは、年末商戦とかのチラシをアチコチで見そうです。
が。
この暑さで、クリスマスかぁ、などとは思えず…。
その前に、ハロウィン?
それが終わってから、クリスマス?


しかしまぁ。この暑さ。
いつまで続くのでしょうか。
解放されたいものです。

最近の学校は、冷暖房が当たり前。
始業式が8月後半になっているとか。

小さい頃の9月といえば。
お月見とか、虫の音とか、結構、肌寒い日が多かったように思うのですが。
時代は確実に変化しているのですね。


その人の世界は、誰のもの?

例えば。
最初から目が見えない人は、最初からそういうものだと理解している。
なので。
見えないというのを何も悩まないそうです(例外は除きますが)

でも、外部が可哀想というレッテルを貼ってしまう。
(自分が持っているのに、その人は持たないから。同情というよりも、恐れでしょうね)

でも、本人は可哀想ではないのです。
その人にとっての世界は、それが普通なのですから。


現代人は五体満足な分、同じにみえる、外部の人にレッテルを貼られたくなくて。
自分が持っていないのを恐れる。
自分以外のことを凄い意識してしまって。
結局自分を置いてけぼりにしてしまっている。
そんな風に思えます。

これでは自分のために生きるはずが、誰のために生きているのかわからなくなってしまう。
怖いですよね。
よくスピ系で云われる、この世界には自分しか存在しない。

それが理解できれば、こんなことに引っ掛かりもしないのでしょうね。
きっと。

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