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春節

もうすぐですね♪
新しい年開け。
わくわくですo(^^)o


ぐずぐずな人も、あと一息です!(多分)
出せるものは出してしまいましょう♪


今年は、新年(1月1日)がまだ年明けてない状態が続いていまして。
ここしばらくは、大みそか状態で、あれやこれやのゴタゴタ騒ぎ!

何だか本当に、2月の春節が、私にとってのお正月のような気分です。


春節の前に、日本には節分が先にくる。
節分も、春節と同じような感じなのかしら?と思ったりして。



もういくつ寝ると、(旧)お正月♪です(^^)♪

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完璧

珠繋がりで「完璧」
傷が無い事・・・。

どうしても「玉」と聞くと。
「丸」をイメージしてしまう。

いや「球状」という意味合いもあるはずだから、間違えではないんだよね?
でも、宝石みたいな意味合いだと、ちょっとずれるのかなぁ?


「璧」も「玉」「珠」・・。とほぼ同じ意味、かな?


艱難汝を玉にす・・・(超克も似た意味かな?)
(苦難を乗り越えた先に大物になる。みたいな?)


丸いから転がる?
苦難も、転がるから、とりあえずは何かどっかには物事が進んでいる?
(でも、摩擦というものが存在しているから。
いつかはどこかで止まってしまう・・・)


丸は、その形だけで完璧。
でも、完全な「丸」はほとんど存在していない。
けれど。
丸は、この世界のあらゆる所に存在いている。


結局、この三次元では、完璧は存在出来ないのではなかろうか?

完璧が無いからこその、完璧。

だから、どんな自分であっても、それは完璧でしかない。

傷ついても、いいんじゃない?4

傷があるから完璧ではない。

果たしてそうだろうか?

逆に、傷があるから完璧と云われている石もある。
エメラルド。
内包物がある方が、天然であるとの証明。

大きな一枚木でも、傷があったり、形がいびつであったりすると、
(研磨・加工する人の腕にもよるが)
それが天然ものであるとの証明となり、価値が高かったりする。

人でも、傷は勲章だ!とか昔云いませんでした?


傷付く事で磨かれる人や物もあれば、逆の事だってある。
だから一概に傷付きゃいいのかい!
とは云えないけれど。


傷を持っている人は。
その傷を自分で抱え込めるようになってこそ。
光を発する事が出来るのかもしれないですよね。


沢山の傷を持っている人は。
もう、ここいらで、その傷を。
(見)治す事をしていってもよいかもしれないですね。


沢山傷ついて、よくがんばりました。
もう、自分で自分を傷つけないでもよいのですよ♪

完璧な、一個体を、全部理解しようとするから。
悩んで、触れなくなるというものだ。

知ってます?
問題というのは、小さく、細切れにするほど、単純化されやすいという事を。

結局、物事だって、何だって。
最終的に行き着く先は、問題の根底にある、最初の始まりでしかないのであると。


最初にソレを溜め込んでしまったから。

出口の無い、迷宮にハマってしまうのだろうね。


ってか。
最初からわかっていたら。
やれる?
やれるか?

掃除と同じよね。
掃除と・・・。

壊したカケラは?

沢山の、増えたカケラ


自分の別人格に、そのカケラを押し付けて。

今の自分が欲しい。
というか。
自分に必要なカケラを一個、手に入れてしまえばいいだけ。


珠が一個体の時は。
沢山の、しないとならないモノが、その一個体に収まっていた。
あれもこれも全部一人でしないと!
そう思い込んでいた分。
割れた事で、その重荷が、減ったはず。


そして、自分の中に、色々な人格がいるとわかったならば?

自分の他の人格に、割れたカケラを一個ずつ渡してしまえばいいのだ。

一個体で重くて、手に出来なかったものを。
一個体で壊してはいけないかと躊躇していた分を。
どうせもう割れたのだから、扱いになど困らなくなったはずのそれを。

自分の他人格に置き渡し。
自分が手に入れたカケラを。
じっくりと楽しむのもよいのではないだろうか?

おっかなびっくり触れなかった、神聖と思っていた珠。
でも、触れないなら意味がない。

触らなければ。
生きている意味も、無いかもしれない。

なぜか?

一番大切な、心の珠(芯)を。
感動させる事が、この世界に生きている、生まれた意味だとしたら。

落っことして、傷つけても、汚くしても、割れても。

それって、あまり意味の無い事なのかもしれない。

逆に。
落っことしたり、傷つけ、汚しまくって、粉々にして、沢山の側面を出す事の方が。
必要なのかもしれない。

壊してもいいんじゃない? 3

さてはて、自分の珠を壊してしまったものをどうするか?


切っ先が痛そうなままでは困るよね?
引っかかるし。

その先端を、いかに、加工するか?

それが問題になってくる。

どうせなら、どうやって魅力的に加工するか。
まで、考えるとベストかもしれない。



マラソン選手のように。
一つの筋肉や骨を増強する。

それに費やしたっていいんじゃないかな?
と思う訳ですよ。


欠けた個体。
その全部の色々モロモロに気を配ろうとしても。
どうせ出来やしないんだから。

変に労力をかけるくらいならば。
割れたカケラの1個でも、それに特化して強化出来れば。
それでいいのではないか?


一個体とカケラ達。

質量的には、小さいカケラ分は減るかもしれないけれど。
でも、質量的にはほぼ同じ。

一個体では存在しなくなっても。
バラバラに欠けたとしても。
違うのは、形だけ。
あるものは、変わらない。

見た目的に、小さくなった方が、重荷が減るとも思わないですか?
見た目的には、ごっちゃりしたものが増えた気がするように思えるかもしれないけれど。
(でも、増える方が、お得な感じがしませんか?私だけ?)

今の自分に必要なものは?

今の自分に必要なパーツを、自ら選択して。

とりあえず、今の自分に必要な所に。
それだけを強化していけばいいだけではないか?
と思ってしまう訳ですよ。

なぜか?

だって。
全体に目を向けて、アタフタするよりも。
効率よくない?



自分の珠。
その自分の一個体の珠を。
自らが触れないというのは。
その(完璧であると思っている)珠を、触って壊したくないだけなのだ。
少なくとも、私はそうなのだ。

でも、完璧は妄想でしかない。



壊れてしまって、壊してしまって。

そんなカケラであれば。
諦めという境地もあるのだろうけれど。

そのカケラは完璧ではないとの認識により。
結構、難なく触れるものになっている事もあるのだ。

大きな珠、完璧な珠では触れなかったのだ。
壊れてしまえば、その完璧もなくなる。
傷ついてしまった。

完全なるもの。
という価値観も、壊れるというものだ。

いつしか、その壊れたカケラの一つが。
それが、完璧な一個体である、というのを、その内理解出来るはずなのだ。
それが、間違っているのか、いないのか。

骨骨骨

例えば、体(珠とか魂とか芯とかだと書きにくいから)

骨を珠と考える(表面には見えないから)
肉が付いてない骨(珠。外に出たら?という感じで)
その状態がむき出しだったら?
きっと、空気に当たると痛いはず。
けれども、綺麗なはず。


知ってます?
綺麗な骨。
・・・って書くと、また話しが、ずれそう・・・。



骨(珠)を考えてみましょうか?
今まで書いてきたのでいえば。
大きな存在である一個体の珠が、割れて。
中身が出た(なんか、グロイ書き方のような・・)


例えば、肩の骨。
その骨単体が。

「俺が肩を動かしているんだ!」と。

その骨単外が、自己表現しないと、わからないですよね?
大きな関節から離れたとしたら、動かなくなりますよね?

骨は繋がっているから、それ単体では動かない。

そのパーツが無いと動けないけれど、その骨単体でも動けない。
(意識とか、神経とか、動かす機能は他にもあるが、そのモロモロは無視します)

私たちの大半は。
全身が動くのを当然のように思っている。

でも。単体。
それが一つずつ存在しているからこそ。
でも、それらの単体が互いに存在している存在があるからこそ、動けるのだ。



骨も(筋肉も)
どこかに特化するために。
そのどこかのパーツを動かし、強化しますよね?

スポーツ選手とかだと、簡単に理解出来るかな?

マラソン選手は、足の筋肉や骨の強化が主(なのか?)
そういうように、どこか、特化して、必要な組織を強化させる。

一部分では動かないけれど、一部分を強化させる事で、輝きって、増す。



話しは戻れるのか?

壊れた珠。
それらは、各一個のパーツになってしまった。

でも、嘆く事は無い。

それ単体での強化は可能であり。
それ単体での意思もきちんとあるのだ(多分)

そして、それらを繋ぐ関節は、確かに存在しているのだ。


どこだって、どの部位だってきっと。
その一個一個は輝きたがっているし。
どの一個一個が無くては成り立たない。

しかも、みんなが協力してこそ、全体として成り立っている。

欠けたとしても。
繋がっている。

だって、珠の欠片は体の中に存在しているのだから。

体の中で、壊れてしまっただけだから。
どこにも出てはいない。

欠けた存在がどんな形になったにせよ。


・・・・・・

形には、色々な形がある。
綺麗に見えるもの、汚く見えるもの。


綺麗な側面だけではなくて。
汚い側面と思えるものもあるからこそ、体も成り立っている。

心だってそうだ。
綺麗な側面だけしなかくて。
汚い事を感じる感覚部分が無ければ?

きっと、不完全だ。

綺麗も汚いも存在していて。
だからこそ、一個体が成り立っている。


完全ではなくても。
どんなモノにでも。
全部の理は成り立ち、全てのモノは存在している(はず)

ようは、大きな一個体として考えるのではなく。
小さな塊が集まって。
それをまとめる部分の関節みたいなのがあって。
大きな一個体として成り立っている。


関節は、絶対に存在しているのだ。



ややこしい書き方になった・・・。

一個体とは?

自分の心の珠。

その心の珠が、一個体であり。
自分であるとわかったならば?

そして、その一個体を割ってしまったとしたら?



大きな存在から欠けた。
大きな一個体であった事から分離した。

不完全になったと思うだろうか?


欠片が。
自分は大きな一個体から分離してしまったと、理解出来たのならば?


分離した個体は。
自ら動こうとして、考えるようになるのではないだろうか?

親離れするかの如く。

そして、新たに家族を持つように。

単体が、自らも。
一個体になろうと。

独立しようとして。
時間をかけて。

そうやって、次第に、角が取れていくのではないかな?と。




形は一個体のように、丸にはならないかもしれない。
けれども、形は段々と、穏やかなカーブを剃るようになるはず。

それは、河原の石を見てみるとわかるはず。
大きな岩から落石し。
川の中に入った石ほど。
川の中で転がされる石ほど、丸い。




人生も同じで。
大いなる存在から分離して。
人の世界の散々酷い所(川で云えば、激流地帯か?)に身を置く人の方が。
結構、切っ先た取れるのが早いのかもしれない。
丸くなりやすいのかもしれない。


結局、分離すればするほど。
分離して、その分離した数が多いほど。
分離した、その分離したものが置かれた状況により。

大元が同じ一個体であったとしても。
行きつく先が全然違うのだろうな。

何故か?
欠片になった方が、小さくて、動きやすい。
小さくなった分。したい事、するべき事を、しやすくて。

一番神聖な目的に近づくような気がする。

壊してもいいんじゃない? 2

自分の心の珠(芯)を壊したとしたら?

きっと、同じように。
綺麗なものが、沢山キラキラとして溢れて出てくるに違いない。
(そう思いたい)

でもね?
割れた部分、内面が出ただけでは・・・。

切っ先が酷くて。

見ている分にも。
触ろうとしても。
痛いよね?

想像はつかないけれど、自分の心の珠も。
壊れて、割って。
むき出しになると。
痛いのではないかと思う訳ですよ。

だからこそ、割れた時に。
切っ先が出来るのではなかろうか?と。
自分の身を守るために。
強がってしまうのではないのだろうか?と。
思う訳ですよ。

壊してもいいんじゃない? 1

(自分の珠(魂)とか、まぁ、想像してみてくださいね)




珠がね、
壊れたの。

その残骸は・・・。

とっても綺麗だったの。

中身は砕け散って。

…でも綺麗だったの。



表面がくすんでいた分。
外側と内側の、そのギャップが凄かった。

中身がそんなに綺麗だと思わなかったから。


一個の珠が、割れた事で。
何個にも分かれて。
各自の・独自の、光を放っている。

それは、とても、自然な事だった。

それは一個体であったけれど、今は一個体ではない。
しかも。
元には戻らない。


とても綺麗だった。

けれどもね?
棘があるの(欠けたから、切っ先みたいになっていたの)

触るな!と云わんばかりに。

でも。
この輝きを見ろ!と云わんばかりに、光っている。
自ら光を取り込んで、輝いている。

でもね?
それも、時間が経つと、段々とくすんでしまうんだよね。

でもって、とんがっている分、磨きにくい・・・。

あなたの中の玉(魂・芯)は?

『玉(魂)磨かざれば光なし・・・』
『瑠璃の光も磨きから・・・』
(石を扱っているので、こういうのもね。
瑠璃は別名、ラピスラズリともいう・・・。
この石は。困難を乗り越える!みたいな根性系の石だから・・・。
何だか意味合い的には、もの凄いハマる気がするのは、気のせい?)


自分の玉を、磨かないと!・・。
と、色々云われるけれどもね?

磨けています?



例えば。
イチロー選手みたいな人は。

自らの珠を「磨く」というよりは。
削り上げる・削り出す、という事が、自分で出来るのだろうなぁ。
と思う訳ですよ。

云ってみれば、イチロー選手は、ダイヤモンドみたいな感じ。
ダイヤモンドで研磨して。
どうやって削れば、ブリリアントカットみたいに。
自分が、自然に、最大限に、輝けるか。
それを知っている人。
そして、独自のカットを自らに施せる人。
まるで、彫刻家や仏師みたいな・・・。



で。
一般の人は。
メガネやテレビや食器を磨くように。
結構簡単に、自分の珠を磨けていると思うのですよ。
曇らない程度に。
可もなく、不可もなく。
穏やかに。


で、私みたいなのは・・・。

磨いて、珠に傷つくのが怖くて、磨けない・・。
触って、落っことしたら?とか。
磨き方が悪くて傷がついたら?とか・・。
くだらない事を考えて・・・。
で。くすんだまま。


そういう人っていますよね?

結局、そういう人って。
自分も他人も何もかも。
怖かったりするんですよね。

という、逃げ口上だけがうまくなっていくんです。


「何が怖いのか?」
それを掘り下げていくと、かなり色々と出てくるものです。
シータをすると、かなり面白いですね。

よく云われる手法で、出来る人はそれでもよいのでしょうけれども。
私には、シータが合っていたみたいです。

そのお話しはまた別に。

人と感動するところが違う・・・7

「他人と分離して生きていこう。
と思ったら。気が抜けた(笑)」


相手の云った事、相手が行動した事を。
噛み砕いて、自分の中に統合させようとしなくて済むから。
いちいち、私が怒らせたのではないか?とか、不安にならなくて済むから。

なぜか?
今の自分は、
相手と統合を図ろうとするから、いけないのであって。
相手と分離を図ろうとするのであれば、距離を置いて見れるのだ(多分)


相手と距離を取れない、私のような不器用な人は。

統合ではなくて、分離を選択してみるのも。
一つの手かもしれないですよ?


自分で分離、と思うくらいの事が。
他人の統合、と同じくらいかもしれないから。


・・・・・・。
最後に物凄いお間抜けな事を・・・。


だから人は、恋愛するのかもしれないのね?
違う他人。
男女という体格からして違うけれど。
脳みそ事態、思考事態、違うでしょ?
決して分かり合えない。

けれども。
分かり合わなくてもいい。
どちらかが補ってくれるから。


・・・。こういう事を理屈を考える時点で。
私は人と違っている、んでしょうかねぇ・・・。


『恋愛は理屈じゃないのよ!
衝動よ!
落ちる?何それ。
もしね、落ちたとしたら這い上がる!それだけ』

んーーー・・。
恋愛マスターさん・・・。凄いわ。

こういう人は、分離も統合も、関係無いのでしょうねぇ。

そう思うと。
今までつらつら書き連ねてきたけれど、私って。
ちっちぇぇなぁ・・・。

ま、それが自分なのだから仕方無いよね(^^)

皆それぞれに、いい味出して。
地球というお鍋に、ごった煮になっているんだろうねぇ。

白菜が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
カニが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
お肉が好きな人もいれば、嫌いな人もいる。
・・・・・

適材適所。
好かれる人がいれば、嫌いな人もいる。

だから。
どっかに自分を必要としている人も、必要としない人も、居るってなもんだ。

人と感動するところが違う・・・6

そして。
他人と分離して生きていこう。
と思ったら。
気が抜けた(笑)

他人の行為・行動に関し、
いちいちジャッジしないで済みそうな自分がいるのも発見した。

だって、観察していればいいのだから。
もっと云ってしまえば。
監察すらいらない!

だって、自分じゃないから。
他人の行動など、理解しようとしないでいいのだから。

自分の中ですら、観察・監察しにくいというのに。
今まで、他人にソレ等を求めていた。

なぜか?
自分を理解出来なかった、理解したくなかった、見つめたくなかった。

だって、他人から。
散々、オマエは何も出来ない子だ!
他人の心がわからない人間だ!
うんたら。
と、散々「他人」に、否定されていたから。
自分の中には「何もナイ」と、思っていたから。
自分の中には「何も無い」と、そう思い込まされていたから。


ねぇねぇ。
そういう風云う他人って。
どれだけ自分の事が出来ていた?

思い返してみてよ。

9割方、出来ていない人でしょ?

そんな人に云われた事。
しかも、相手がコチラに何を云ったかすら覚えていない相手の事を。

遺言書のように。
後生大事に。
死ぬまで一生抱え込む必要などないんだよ?



人と感動するところが違う・・・5

「それがわかってこそ、他人も自分も尊重出来る、尊重し合える存在になれる。
そう思っております」

と書き書き。


自分を卑下して、他人を尊重する。
これって、臣民(もしくは奴隷)と、王様の関係で。
対等では無いですよね?

対等ではないという事は。
バランスが取れない。

自分を卑下すればするほど、逆バランスを取ろうとして。
相手が王様よりも、神様みたいな存在へと化していく。



んでもってね?

対等であるからこそ、相手を敬える。
自分を敬える人から、相手を敬える。
というのも成り立つのだわ。

お偉い聖人とか見てみると、そうでない?


自分をも敬えるのであれば。
敬うというものがどんなものか、体験して知っている。

これは最強ですがな。

体験したものは、自分の中に存在している。
だから、他人を敬う事が出来る。

体験してないものは。
いくら言葉を知っていても、知らないのと同じで。

まぁ、言葉を知らない人よりは、マシかもしれないけれども?

そういえば。
この間、テレビで。
中国には「素直」という言葉が無い、というのを見た。
だから、最初日本に来て、日本人に「素直じゃない」と云われた時に。
意味が分からず理解出来なかったそうだ。

そういうものなのですよ。
自分の中に無いものは。
どんなに他人が云おうとも。

本人は理解出来ないんです。
そして、理解出来ないソレを、その当人が覚えようとしない限り。
理解はされないのです。

そういう事があった時点で、
そういう事が続いたな、と思う時に、
そういうモノや存在を理解をするのを。
よしとするか。しないか。

そう思うだけでも、自分の中の、何かが変わるのかもしれないですよね。


人と感動するところが違う・・・4

他人と自分。

それをキチンとわかった上での、他人との統合でないと。
統合した時の学びは、少ないのかもしれないですね。

あ、でもね?
漁夫の利ではないけれど。
魂の世界に戻った時に。
他人と統合すると、他人の思考・行動・様々な記憶と繋がれるのでしょ?
というか。
他人のモノも自分のモノ、になるでしょ?

だから、無理に「分離」や「統合」を考えなくても。
よいのかもしれないですよね。

不足している所は、誰かがやってくれているのですから。
その為だけに、生まれる人だっているのですから。
統合した時に、その、誰かがやってくれた体験を、
自分のものとして手に入れられるのですから。

だから。自分勝手に見えるような行動をしている人は。
天からみたら、上手くいっているように見えるのかもしれない。


だったら、今。
この時点からでも。
自分が「この、人の世界」で、出来る事は?
といえば?

他人がした事も無いような事を、 体験する。
他人が体験出来ないような事を、 楽しむ。
他人が全く楽しめないような事を、味わう。
他人が味わいたくないような事を、経験する。

いかに、他人がしない事をする。
なのかもしれないですね。

そして、分離を学ぶ。という事。

分離しているから。
相手の持つ、自分の知らない感情を、
自分が理解しようと思える。
自分の知らない感情を楽しめる。
他人という、分離状態を味わえる。
痛みもあるけれど、その痛みすら、愛おしくなるかもしれない。
なぜか?

それは自分が知りえない感情だから。


そうなったら?
統合した時に自慢が出来るかといえば?


いやいやどうして。
一緒になっちゃうんでしょ?

自慢する前に、統合した他の人の物になっちゃうんですよ。
無理!

だから、どんな体験をしようとも、しないとも。
それは今の自分の感情に任せるしかないのでしょうね。


ま、何にせよ。
今後は統合を求めて生まれてくる人が多いのだろうが。

私は得てして、分離を覚えようと思いました。
他人は他人。
自分は自分。

それがわかってこそ、他人も自分も尊重出来る、尊重し合える存在になれる。
そう思っております。

人と感動するところが違う・・・3

私はこの人の世に、分離を学びにきたのだ。
というのが分かって納得。

年末年始にかけての、過去世の解放もだけれど。
今も昔も、私というものは。
本当に統合している魂の状態から、分離を学びたくてこの世界に来たのに。
なんでか、この世界でも統合しようと努力していて。
「違うんじゃい!」
と云わんばかりの、お直し(教育的指導)が訪れていた。
だから、酷い、と思える、目に遭っていたという・・・。

この世に生まれたら。
魂の青写真は忘れるというし。
元々持っていた、直前の資質や性格などは、魂に刻みつけられているし。
それを持って、物質世界のこの世に来たら。
それを変えようとしたら。
かなりの努力が必要って事なんだろうね。

きっと、それすら楽しみにして、この世に生まれてきたんだろうなぁ。
と、解放が終わってから、そう思えるようになった。

人と感動するところが違う・・・2

でね?
最近、天に繋がった時に教えていただいたのですが。

「この、人の世界。
あなたは分離を学ぶためにきた。
統合はすでに学んでいる。
あなたは分離ではなく、統合を必死になってやろうとしている。
この、人の世界ではない、
この、人の世界に来る前に存在していた魂の世界。
そこは統合の世界であり、分離したくとも出来なかった。
あなたは、この、人の世でも統合したがっているけれど。
それは、魂の世界に戻ってから、また好きなだけ出来る。
そして、その場所では、どんなに望んでも分離は得られない。
この、人の世に、分離を体験したくてきた。
それなのに、統合ばかりを追い求めている。
自分の望んだ分離。この、人の世界を楽しみなさい」

要は。
他人ばっかり考えて、同じ行動をさせようとか、しようとか考えるな。
とか。
せっかく分離しているのだから、他人が考えないような事をやれ。
とか。
そういう事なんだろうかね。


確かに、統合を最終的目的として、この人の世に来ている人も多いので。
私の受けた言葉は、他の人に当てはならない場合もあります。

けれどもね?

人と感動するところが違う・・・1

自分と人は。

実は同じではない。

そういうのを、改めて思い知らされました。


自分と他人。
まるで違うじゃない。
頭大丈夫?
とか云われそうだけれども。
いや、そういう意味ではなくて。

え?私が変だから、自分とは同じにしないでほしい?
イヤイヤそういう意味でもなくて。orz ・・・


今のスピ系って、統合を目指す。
と、云われていますよね?
(でも、マヤ暦終わりで、人は分離の道を歩く。
とも云われていますよね?
よい人は、よい方向へ。
そうではない人は、そうではない方向へ。
あれって、どうなんだろう?
完璧、分離じゃないか?)

私は。
統合まではいかなくても。

人ってずっと、同じ場所にいるものだと思っていたんです。


同じ場所というのを大雑把に云えば。
同じ価値観・同じ思想、などなど。
(だったら戦争など起きないよね。
だったら犯罪すら、起きないよね。
普通に考えれば、よくわかる事よね・・・)

他人と自分の思考は、似通っているだろう。
だから、
他人と自分の行動が、似通っているだろう。
という事。

それが私のベースにあった。


だから、
自分の思考や行動は、他人も同じようにするだろう。
そう思って、今まで行動していたのですが。

よくよく振り返ると。
全く逆。


私のする事、成す事、全部。
どういう訳か、他人の考えと逆の人が多かった。

そして、私の(つまらない)思考や行動が。
相手の神経を逆なでしている事が多かった。 orz・・・。
気を使ったつもりが、何でか全部逆目に出るんだよね・・・。
そこまで繰り返ししていても、わからない自分って・・・。

何故、逆なでしているか?
だって、相手の本当に望む事をしてないから。
だって、相手の本当の思考を理解してなかったから。


相手と私は一緒だ、という。
完璧な思い込み。
まずはそこから躓いていた。

海行きたいよね。
と他人が云っているのに。
私は。山だよね!
と他人に云っていた。

つまりはそういう事なのだ。

最初から。
話しも何もかも。
かみ合っていないまま。
私が話していたのだ。

もっとも。
自分と似通った他人の場合だと。
最初から山の話しでわかるから。
もしくは、相手が私に気を使ってくれて。
海の話しから山の話しと気づいてくれて、私に合わせてくれていたか。
まぁ、私が揉めない他人いうのは。
大雑把にいって、そんな人達だったのでしょうね。

そして、私が揉めた人は。
そういう人ではなかったということ。

もやもやしています?

マヤ暦明けて、解放!って人もいるでしょうが。
新年になって。解放!って人もいるでしょうが。

でも、まだモヤモヤしている人だっているはず。
だって人間ですもの。

ある人から聞いたのですが。
旧暦の正月まで。
2月10日頃?
それまでモヤモヤの持続はあるような事を話されておりました。

なので、モヤモヤしている人は。
1月末日まで、思い切りモヤモヤを出してしまって。
2月になったら、新しい年に切り替わるようにしていっては如何でしょうか?



ワタクシは・・・。
体が軽くなったのと(解放されたので)同時に。
逆に、体が重くなった(現実の波長が重い所にいくと・・・)
空白になった所に、狙ったかのように。
モヤモヤが入ってこようとしている!

昔は簡単にそういうもの侵入を許していたけれど。
(だから感情の変化の波がひどかった。
傍から見てれば、アップダウンの激しい人間に見えていたでしょうね・・・)
今回は自己防御が働いているようで。

物凄い、気持ち悪い!

それがわかるようになれてよかったのですが。
バランス取るのが難しいもんですね。

次は、バリアの張り方とか、真剣に覚えないといけませんね。
という訳で、また色々とやっております。

応援団

「グラウンド」を書いていて思ったのだけれど。

人は誰もが絶対に。
一人に、なれないんだそうですよ。

生まれる前に、必ず最低限1天使が着いているそうです。
そして、その天使は。
我々が天に戻るまで、一緒にいてくれるそうです。
(聞いた瞬間に。
そりゃ、大変だよね・・・。と思ってしまいましたけれども)

日本人だと、天使とか、あんまり身近ではないので。
イメージしにくければ。

守護霊でも、神様でも、何でも自分が信じる神聖なものでもいいと思います。
云い方は何であれ、存在は神聖なものであり。
導いてくれる存在だそうです。


そういう存在が。
絶対に着かず離れずいてくれる。

それこそ、トイレに入っている時だって。
人には見せられないような大口開けて、
美味しい物を一人で頬張っている時だって。

どんなに一人になりたい!
そう願っても。

絶対になれない(笑)

でもね?
声は聞こえないし、目には見えない、触れられない。
だから本当にいるのかわからない。

そう思ったとしても。
すぐそばにいてくれるんですよ。

声は聞こえないし、目には見えない、触れない。
だから本当にいるのかわからない。
でもね?

付かず離れず、ずっとそばにいてくれて。
絶対に見捨てない。
一緒にいてくれる存在がある。
思うだけで安心出来ませんか?
そう知っているだけで心が温かくなりませんか?

そして。
そう思うだけで。

悪い事って、出来ないと思いませんか???

(ま、何を持って、悪い事とするのかは。
本人の思考になるからわからないけれども)

グラウンド

そういえば。
年末年始か?
どっちか忘れてしまったが。

ポチリとテレビを点けたらば。

何かの再放送ドラマがやっていて。

確かこんな事を云っていた。

『グラウンドに出るのは本人だけで。
グラウンドに出たら、誰も助ける事が出来ない。
本人がやるしかない!
でも、グラウンドの外には沢山の応援団が、応援している!
一人じゃないんだ』
みたいな事を云っていた。

それ聞いて。
感動しつつも。
病気の人を思い出した。

よく。
「代わってやれるもんなら、代わってやりたい」
こういう言葉を聞きますよね?


グラウンドの話しを聞いたら。

代われないんだ。

そう自然に思えた。

だって、グラウンドに立ちたい(病気になりたい)と思って。
その場所に立っているのは、その人だから。


わかりにくいかな?

プロ野球選手を考えてみるとどうだろう?
(プロ野球を病気とかに変えてみる。マウンドは病院か?)

プロになりたくて、ようやくプロ選手になって、マウンドに立った。
怖くても、自分が望んだから、逃げられない。よね?
自分で手に入れた地位。

恐怖だから、誰かに代わって。って云える?
折角、何百、何万の人の中からプロ選手として選ばれたのに。


プロ選手じゃなくても。
プロのアイドルとか、プロの役者とか。
何でもいいんだろうけれど。

アイドルになりたくて。
お金出して、学校の試験受けて。
合格出来て、通っても勉強ばかり。
ダメ出しばかり。
自分でオーディションを沢山受けて。
ようやく合格して。
いざ、舞台に立って。
立ちすくんだ。

でも、そこで。
誰かに代わってもらったら。
今までの努力は、水の泡だよね?

だったら、どうなるかわからないけれど。
前に進むしかないんだよね。

それに。
応援団は、自分の傍にいるはずなのだから。

自分の気づき

よく思うのは。
何でこんな単純な事に悩むのか?

色々ありますよね?
人間関係だったり、自分の発した言葉だったり。


で、その答えが。
「悩みたいから!それを楽しみに(この世界に)きたのでしょ!」orz・・
天使にすら云われたよ・・。
楽しそうに・・。


自分に起こる困難とか、死にたいとかいう思いとか、もう駄目だ!とか。

そんな事を思い込むまで追い込まれ。
マジでつらくても。



「悩みたいから!それを楽しみに(この世界に)きたのでしょ!」

・・・・・・・・・・。
はぁ?
でした。

気が抜ける瞬間でした。

それ(死にたいとまで、死ぬを通り過ぎる思いまでした事)を。
楽しんでいる魂の自分がいるんですと・・・。


それ聞いて。
本当に、人生がバカらしくなったりもしましたっけ。

そんな事がしたかったの?って。

でもね?

ふとした瞬間。
「悩みたいから!それを楽しみに(この世界に)きたのでしょ!」
と云われた。
本当に、人生バカらしくなったりもしましたっけ。
と自分で思った思いを。

真っサラ、綺麗サッパリ、忘れて。
またどっぷり浸かるんだよね・・・。

どうなんだろうね?
これって。
(バカじゃね?とか聞こえてきそうだ・・・)



テレビドラマじゃないけれど。

本当に自分の人生、楽しんでいるのかなぁ?
とか思ってしまうよ。

でもね?


もう。
そういう小さい事で思い悩む。
そういう小さいコミュニティーから脱したいんですよね・・。


よくもわるくも・・・。

年末年始。

色々な解放をしていったおかげか。
色々な思いが消火(消化?昇華?)されたのか?
何だか、書きたいものが出てこなかった。

昨年、色々メモしたものをブログにあげようかな?
と思っても。

違和感が出てくる。

それはそれで、よい事なのですが。


「負」からの「気づきの遺産」は結構あるので。
どうやって方向転換出来たのか?
とかも含めて、書いていけたらなぁ?
(疑問がつくのは、どうなるかわからないから)
と、今は思っています。
折角色々と残しておいて、使わないのも勿体ないし。

それもあって、年始は中々更新が出来ませんでした。
それでも読んでくれてくれる人には感謝です(^^)


スピやら、心理学やら、色々な人の言葉やら、実体験やら、物質やら。
それらを自分の頭で解釈して。こねくり回して。
色々ごった煮になって書いているので。
わかりにくさもあるでしょうが・・。


そんな色々とやって、騙されながらも色々やっている自分ですが。
かなり、変わってはきましたねぇ。

それについての気づきを、下記に書いていたら長くなったので。
切り取ってしまいました。
どっかで書きます。




でも。
変われば変わると、また別の宿題やら課題やら。
出してくれるんですよねぇ。
どっからともなく、現れる。

人生は。
一生、課題と向き合うためにある。
とも云います。

なので。
昔、私はこんな事を考えていました。

目の前の課題をやらなきゃ、とりあえずは。
それ以上の辛い課題は出ないよね(^^)

とか、安楽に考えていたのですが。

つまりは、その課題をやらなきゃ、次の課題は来ないだろう、って事を。

でもね?




『早よ終わらせんかい!』

と、怒鳴られるが如く。

目の前の課題が激しさを増していった気がする・・・。


課題は生まれる前の青写真。
自分で決めてきたともいうけれど。
他人の課題を手伝うための課題もあるとも云うし。

他人との関わりがある場合は。
他人が関わる分。
ましてや、頼まれた課題の場合。
よけいに。

『さっさとその課題を済ませんかい!』
『それをアンタが終わらせないと、こっちが困るんじゃい!』
『あんたに頼んだ、ペアでやる課題が出来んじゃないかい!』
という、お叱りにも似た・・様々な出来事が起きた・・。

追い立てられのようなものを感じるのは気のせいではないと思う。


ついつい、自分には甘い顔をしてしまいな私にとっては。
(というか、自分まで手が回らなかった orz・・・)
尻を蹴飛ばされるが如く、追い立てまわされていたような・・。


さてはて。
今の自分は。
他人の課題を手伝っているのか?
自分の課題をやらされているのか?


小さな引き寄せ、いらっしゃ~い♪

ではないですが。

とりあえず、石に祈ってみた(笑)

読みたかった本の作者と題名が!
5分で見つかった(@Д@;)
パソコン検索で。

かつて、調べても、調べても、わからなかったのに!

検索すりゃ、一発で出るでしょ。
とお思いのあなた!

主人公の名前(二文字の内、一文字しかわからず)と、本当にちょっとした情報だけで。
ですよ!?

アレコレ開いていき、発見!


さてはて。古い本だから、書店にあるかな?

と思ったら。
書店には無い・・。
(無い理由もわかり・・・)

諦めていた所。
古本屋で発見!
すご・・・。





最近、落ち着いてきたのか、私のスペクトロライトさん。

 そのスペクトロライトさん、入荷しました。

ご興味のある方は下記へ♪

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大掃除中・・・。

すずなに手伝ってもらい中。

ってか、本読むな!
パソコン禁止!
手を止めるな!
キリキリと働け!(*><)i

だって・・・。
こんな時で無い限り。
本、読めないもの・・・(;;*)



という訳で。
パソコンほとんど触れられず・・・。
というか、本読んでいて更新出来ず。
あ。
こんなのがありましたので、シェアします。

「生きていれば、次の手が打てる」

反対を云えば、死んだら何も出来ない。

でも、生きるのがつらい人にとったらさ。

次の手など、打ちたいと思うのだろうか?
(く、暗すぎる・・・(*><))

「塞翁が馬」
と云いますので。
次の手を打たなくても、何かが変わるかもしれませんけれどもね?


とある霊能者がね?
「生きていても先がわからない。
死んでも先がわからない。
だったら自分から死を選んではいけない!」
と力説していました。
寿命前に選ぶ死の方が。
その先は、物凄い・・・。そうです。
だからつらいと思っていても、生きてほしいと話していました。

死の先は色々と云われていますが。
自ら望んで選ぶのと、寿命では。
見える先が違うそうですね・・・。


話しはちょいと変わりまして。
死にたいと思える内は、まだ自分をやり直したいと思っています。
自分を捨ててはいないのです。
だから、つらくても、どうにか自分で自分を捨てないでほしいです。
何故って?
自分くらいは。
自分だけは。
自分の味方でいてあげてくださいよ。

それに。
「塞翁が馬」ですよ。

どう転ぶかわからないし、どう転ばされるか、わからない。

一番こわいのは。
何も考えられなくなる事。
そうなった場合の応急処置は、怒りの感情を思い出す事。
あくまで、応急処置ですが。


年始からこんな話しって・・・。
とお思いの人。

そのままの人生を選んでいってくださいね(^^*)

初夢

1月1日~2日までに見る夢。
とか云いますが。
見ましたか?

私は・・・。

夢は云わない方がいいんですよね?
まぁ、どうなんでしょうか?な、感じです。


見なかった人も大丈夫(何がだ?)
いやね・・・。

どっかで見た事があったのよ。

その年に、一番最初に覚えていた夢でオッケーだ!って。

ま、何でも考え方一つって事ですな。

変な夢を見てしまった人。

リセットです(笑)
見て無い、今日が初日、とか考えてみてくださいまし。


今更?
「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」
知っている人は知っている。
知らない人は知らない・・。

私が憶えていたら、今年末にやり方を書いてみましょうかね。

近すぎて♪遠すぎる♪

月のように。

遠い存在であるならば。
ちょっとの変化はわからない。


でもね?
近い存在であるならば。

ちょっとの変化もわかるのよ。

不思議ね。


でね?
もっと不思議なのが。

近過ぎる存在であるほど。

ちょっとの変化もわからなくなるよの。


それは何かって?

・・・・・・・。


みなさん、経験ありません?

髪の毛をどれだけ切っても。
気づかれない時・・・。
化粧を変えて。
気づかれない時・・・。

気を遣われているのか。
全く気にされていないのか・・・?


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